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壮絶なデモの後、ジャカルタに普段の朝が戻ってきた

 

11月5日の土曜日の午前、首都ジャカルタに普段通りの生活が戻ってきた。道路は渋滞し、市内のショッピングモールは家族連れや友人たちとの会話、コーヒーをすする音が響き、前日に何事もなかったかのようだ。

ツーリストオフィスによると、シンガポール、マレーシア、オーストラリア、日本からのバリ、バンダン、ヨギャカルタ、その他の目的地を含むインドネシアへの旅行パッケージは問題なく決行されるようだ。

 

観光大臣のアリフヤヒャ氏によるとデモが一日中続いていたが、土曜日の午前中にはすでに日常に戻っていたと伝えた。

 

11月4日の金曜日、じゅかるた中心にて、イスティクラルモスクからメルデカパレスにかけてのメルデカスクエアーのナショナルモニュメントの1平方キロメートルは一日中大勢の人で埋め尽くされた。このデモはジャカルタの知事Tjahaya Purnama氏のコーランに対する冒涜を訴えるものであった。デモの参加者ははジャカルタのみならず、インドネシアの各地から集まった。金曜日イスティクラルモスクでのお祈りの後、人々はパレスに場所を移し、道やメルデカスクエアーを占領した。

 

警察当局との兼ね合いの結果、デモは市民の権利とルールと規制に従い、夕方6時には解散された。警察当局によると、武器は使用されなかったようだ。実際に一日を通して、人々の行動は規律が保たれ、友好的であった。

 

不運なことに、デモの参加者はパレスから離れようとしたのではなく、ジョコウィドド大統領に合わせことを要求した。しかし、大統領自身は市内を離れており、副大統領で防衛相でもあり、軍指揮者、警察のトップであるのジュスフカラ氏が委任を引き受けた。午後8時頃、パレスの前で警察に向かって石が投げられたり、3名の警察官の乗用車が燃やされたりした。警察は催涙ガスを使用し、パレスから人を遠ざける手段を取った。この動きは10時まで続いた。

また、北ジャカルタで異なる事件が発生し、この状況を逆手に取った略奪者たちが石を投げたり、スーパーで商品を盗んだりしたことにより、警察は再び、催涙ガスを使用した。

 

午前12時直前、大統領のジョコウィドド氏の乗用車がついに民衆をかき分けてパレスに到着し、プレス会議と緊急会議を開催した。

 

彼のスピーチによると、大統領のジョコウィは夕刻までのデモの参加者に規律のあり、平和的な方法の表現であったことを感謝した。しかし、  夜にかけてそれは暴力的なものに変わっていった。彼は宗教的リーダーの方々にデモが規律を保つように指導したことについて感謝を述べた。 

 

「民主主義の国として、インドネシアは国民の不満や願望を、規律のあり平和的な方法で表現することにはリスペクトしている。」

  

大統領は法的な手段で現職のジャカルタ知事の調査を早急に行い、インドネシアの規則と法的な手段に従って処理するので、静かに家に帰るように伝えた。 

 

さらに大統領は警察と軍に感謝し、デモの参加者と民衆の安全を守るように伝えた。しかし、数名の人々は暴力行為に対し逮捕された。

11月6日の日曜日、ジャカルタはカーフリーデーとなっており、金曜日にデモで埋め尽くされた道は、自転車やジョギング、ウォーキングをする人、ベビーカーを押す人が占め、彼らは、「私たちは年齢、人種、宗教にかかわらず一つである」と言った。We are Wonderful Indonesia.